精神障害者手帳を持った話

東京に出てきた18の頃、夢も希望も絶望も詰まったネオンのビル街に

「エモいな~。」って笑顔になってたんですよ。

当時はエモいなんて言葉なかったかもしれないですが、、、。

念願の大学に入学して中央線で服を買ったり、夜の新宿でわちゃちゃしてると

病気のことを忘れて笑う時もありました。

しかしひとつ作品を作り終え私の体は耐えていた虫歯のようにボロボロ落ちていきました。

臭いんです。起き上がれないんです。体がだるくて、どうしようもない。

当然、働けませんでした。何もできないまま2年ほど死んだように暮らしていました。

変わらず、通院はしていました。

パニック障害を患ったのは20歳でしたから、慣れたものでしたが

すべてを忘れて笑う時間は無くなりました。

そして秋、夜に突然徘徊する日々が続きました。

外で叫び泣いたり、わざわざ吸わないタバコを購入して体のいたる所に擦りつけました。

当然痛かったです。水ぶくれになり跡も残るでしょう。

約7年前の減薬時とはちがう絶望がやってきました。

私はとうとう首をつりました。幸い、家にいた母がぶつかる足音で飛んできて一命を取り留めました。

死にたい死にたい死にたい死にたい

カミュが解けなかった哲学が一つだけあるそうです。

自殺です。人生は生きるに値するものなのか。

永遠の謎だと。

私は、ただ生きるだけで辛いこの人生は生きるに値すると思います。

生まれてしまったからには、死ぬこと以上に怖いことはないからです。

死ねない。

そう思った瞬間、私は病院で一連の心理、行動を正直に話し新薬を手に入れ

この金銭状況で生きていくために自立支援の医療受給者証を申請し障害者手帳まで手に入れ

医療費を削り、余計なものを一通りメルカリでお金に変え、ヘルプマークをつけて歩いています。

そんなことをしている間に世の中はコロナ騒ぎになり、最大限気をつけながら10年以上ぶりの歯医者にも通い

マイナンバーカードも申請しました。

そろそろバイトでもしようと思っています。

そしてこれを書きながら手帳を見て、少し泣きました。

私は、パニック障害を発症して15年。治ると信じた5年。付き合っていこうと決めた5年。

限界中の限界の5年。精神障害者になりました。

0コメント

  • 1000 / 1000

it's OK FILM 阿部綾織

it's OK FILM 代表 阿部綾織の日々の生活